私が小学校低学年の頃にかかった水疱瘡は、顔にいくつもの深い跡を残していきました。特に右の頬にできた一番大きなクレーターは、私の長年にわたるコンプレックスの象徴でした。思春期になると、その悩みは一層深刻になりました。友達と話している時も、相手の視線が自分の頬に注がれているような気がして、自然に顔を背けてしまう。集合写真ではいつも、跡が目立たないように左側から写ろうと必死でした。ファンデーションやコンシーラーを厚く塗って隠そうとしましたが、凹凸は光の加減でかえって目立ち、化粧をすればするほど気持ちは沈んでいきました。鏡を見るたびにため息をつき、なぜ自分だけがこんな思いをしなければならないのかと、幼い頃の自分を責めることさえありました。この跡さえなければ、もっと自信を持って笑えるのに。この跡さえなければ、もっと積極的になれるのに。そんな風に、自分の可能性を傷跡のせいにして、どんどん内気になっていったのです。転機が訪れたのは、大学生になってからです。ある時、親しい友人に思い切って悩みを打ち明けたところ、彼女はきょとんとした顔でこう言いました。「言われるまで全然気づかなかったよ。それに、それがあなたの一部なんでしょ。私は今のままのあなたが好きだけどな」。その言葉は、私の心の奥に深く突き刺さりました。他人は自分が思うほど、私の傷跡を気にしていないのかもしれない。そして、この跡も含めて私なのだと、初めて受け入れるきっかけをもらった気がしました。もちろん、すぐにコンプレックスが消えたわけではありません。でも、その日を境に、私は少しずつ顔を上げて人と話せるようになりました。傷跡は今も私の頬にありますが、それはもう、私を縛り付ける呪いではなく、一つの過去を刻んだだけの、ただの皮膚の一部なのです。
鏡を見るのが辛かった水疱瘡の跡との日々